このブログを検索

2014年9月20日土曜日

運動神経って

運動が得意な人ってかっこいいよね。それに今までの経験上、運動神経がいい人って優しい人が多いように思う。ずっと憧れてた。

で、僕はどうみても苦手なほうやね。姉も弟もめっちゃ運動神経抜群なんで、なんで兄弟で僕だけって考えたなあ。

初めて苦手って思ったのが、幼稚園児やったのときのコマなし自転車の練習の時や。姉がすんなり乗れた(弟は1回で乗れた)から、僕も簡単に乗れるもんやと思ってた。

で、父親に「乗ってみろ」って言われて、乗ってみたらこけた。次もまたその次も、何回やっても乗れへんかった。もう嫌になって帰ろうとすると、父親がめっちゃ怒って「あきらめるな!逃げるな!」と怒鳴って、恐いし、痛いし、泣きながら練習した。父親も僕がなかなか乗れるようにならへんから、ますます興奮して、激こうして、何度も怒鳴るし、気が付いたら僕がめっちゃ泣いてるから、近所の子供達が集まって、僕の練習、特訓してるのを見始めた。おばちゃんとかも笑ってたな。

もう嫌やとかもう乗れへんかってもいい、来週練習するとか、弱音をはいたら、鬼の顔をした父に更に怒鳴られ、恐すぎて無我夢中で何度もやったらやっと乗れた。

乗れるようになるまで何時間かかったやろ。で、父が「ほら乗れたやろ、諦めへんかったら乗れんねん」って言った。もう何十年も前の出来事やけど鮮明に覚えてる。

その次が、小学校の体育授業の逆上がりの練習の時、僕はでけへん側に。めっちゃ悔しい、なんででけへんねんやろって。でけへん子も何人かいたけど、でけへん自分が嫌やった。

家に帰って母親に話したら、その話が父親にいって、また特訓が始まった。

毎週日曜日父が仕事休みやから、公園に行って、練習した。僕が父にしごかれている横では、姉と弟が簡単に逆上がりしてる。ほんま悔しい。姉弟も父もなんども手本見せてくれんねんけど、でけへんもんはでけへん。でも、今回は僕もできるようになりたかった。体育の授業ではできる側に入りたかったんで。

必死に努力したけど、一日ではできるようにならへんかった。できるようになるまで何週間かかったやろ。それでも、なんとかできるようになって、一回できたら何回もできるというか簡単やね。なんでこんな簡単なものがでけへんかったんたろって。で、今は僕が甥っ子に逆上がり教えてる。今はネットで検索したら、いろいろ逆上がりの教え方とか説明があって、それを実践したら、ほんまに2週間(練習したのは二日間)でできるようになった。ネット時代万歳!!!

運動会も活躍でけへんから嫌やったなあ。これもまた姉弟は運動会のクラス選抜、赤組、白組、、、選抜リレーの代表に選ばれてめっちゃ活躍してるのに、両親はめっちゃ喜んでるし、僕は50メートル走の段階で必死、ちょっとでも早く走りたいからいろいろやってみた。裸足で走ったり、腕をめっちゃ振ってみたり、運動神経抜群の先生見つけ出して、「早く走りたいから、コツ教えて下さい!」とか聞いてたな。その先生の答えは「目標物を定めて、それを見て走ったらええねん」やったような、もう忘れたけど、実践したら少しは早くなった気がする。

で、僕も姉弟みたいに少しでも目立ちたいから、いろいろ考えて、6年生の時、応援団になって、選手宣誓立候補したなあ。小さい町の小さい学校、一学年二クラスしかないから、競争率も低いので立候補したらやれた。やっと目立てるって思って、おじいちゃんにも見に来てもらった。子供のときの自分ほんまあほやね、、、、。

最後に、運動会の組み立て体操でメインのタワーの見せ物があったんやけど、一番下が5人か6人かが肩を組んで立って、2段目が3人が肩を組んで立つ、一番上が1人。5年と6年が共同の組み立て体操。タワーはメインの見せ物なんで、僕には全く関係ないしって、先生の説明も聞いてへんかった。

そしたら、今からタワーをする人選びます、先生達が選んでいくんやけど、全く関係ないから緊張も何もなかった。自分には関係ないって感じで、僕は6年生やってんけど、そしたら5年生の担任の先生、僕はその先生とは一度も話した事ないし、授業も受けた事ない、その人が僕を2段目の担当に選んだ。え、、、、、そんなんやめてくれ、って僕も思ったし、僕の担任も思ったやろうけど、なんか知らんけど決まってしまった。その先生は僕の運動レベル知らんかってんや。

で、練習のとき、1回だけ失敗してタワーが崩れて、僕以外の人は運動神経いいから着地して問題ないけど、僕は着地できずこけて激痛が、めっちゃ痛いねん!!!!ま、本番なんとか成功したけど、ありえへんほど緊張した。人選はちゃんとしてねってか。

ではではでは。 今日はK君の誕生日やから、今晩デート、ウッシッシー!!!!!!


今日の一枚

画像は長谷部誠オフィシャルブログから

0 件のコメント:

コメントを投稿